ジャンボジェット誕生の背景


そもそも、現在ジャンボジェットを製造しているボーイング社には、1960年代初頭より超大型旅客機の構想があった。
1970年代には大幅な航空旅客需要の伸びが予想され、それに対応するためには、現行のジェット旅客機の2倍程度の輸送力を持った機体が必要だと彼らは判断していた。

そんな中、1963年、アメリカ空軍はCX−HLS計画と呼ばれる戦略空軍構想の実現をめざし、一度に大量の兵器と兵員を長距離輸送できる超大型軍用輸送機の開発を各航空機メーカーに打診した。
そして、1965年、非現実的な低価格を提示したロッキード社が落札することになる。
これが後のC−5A型大型輸送機である。
"ギャラクシー"の愛称で有名なC−5A型機は、その後、設計上の不具合からトラブルが続発、その上、主翼強度の問題も噴出し、結果的には当初見積の金額を大幅に超過する価格となってしまった・・・。
合計81機しか生産されなかったこの機体、個人的には明らかに失敗作だと思う・・・。

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実質的な敗者!、ロッキードC−5A型"ギャラクシー"大型輸送機

注) ただし、この機体に採用されたエンジン(GE社製TF39−GE−1C型)は、その後CF6型シリーズとして、ボーイング747型機、マクダネルダグラスDC10型機、ボーイング767型機など数多くの機体に採用され、大成功をおさめた。


この商談に敗れたボーイング社は、このCX−HLS計画につぎ込んだ莫大な費用と人員を生かすべく、それまでの常識を打ち破る400人以上の乗客を一度に運べる巨人機の実現に向けて動き出した。
そして、当時世界の航空会社のリーダー的存在だったパンナムから22機という大量受注に成功し、民間機としての超大型旅客機の開発を独自にスタートさせた。
この超大型機の設計ポリシーは、"何れ到来するであろう超音速機全盛時代が訪れた時には、貨物専用機として生き残れるようにする"、というものだった。
操縦席が2階にあるのも、長尺物の貨物を搭載できるように、機種部分が大きく口を開けるノーズ・カーゴ・ドアが取り付け易い構造にするためである。

1969年2月9日、ジャンボジェットの一号機は初飛行に成功、翌年の1月には、パンナムのニューヨーク〜ロンドン線で商業飛行第一便が飛んだ。

以来、今日までの長期に渡り、ボーイング747シリーズは1400機以上の受注を集め、ボーイング社は大成功をおさめた。


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(掲載写真:ノーズ・カーゴ・ドアとサイド・カーゴ・ドアを開けた状態のボーイング747−281F型貨物専用機)